[開催レポート]3/21 対話の時間〜テーマ「不自由」〜
REWAの西浦です。
3/21(土)に、「対話の時間~テーマ 不自由~」というタイトルで「不自由」をテーマに哲学対話をするイベントを行いました。
時間になり皆さんが続々と集まってきてくれました。
まずは簡単に私の自己紹介とREWAについて紹介をさせていただきました。
そして、哲学対話が初めての人もいるかもしれないので、哲学対話って何?を説明させていただいて、哲学対話をする上でのルールをお伝えしました。
その後、参加者皆さんに自己紹介をしてもらいました、哲学対話では自分の身分などプライベートなことを明かさないとする場合もあります。今回も今日呼ばれたいお名前とテーマが「不自由」ということで「自由に」自己アピールをしてもらいました。
「今日が哲学対話始めてです!」や「最近始めましたー!」という方が半数以上、その反面「10年前から」というベテランさんもおられました。
自己紹介のあとはテーマについての「問い」を皆さんから出していただいて、その中から対話のスタートになる「問い」を選びました。本日の問いは「究極の不自由とは何か?」に決定。
問いを出してもらった参加者の方からその問いを出した理由を教えてもらってから、対話がスタートしました。
問いを出した理由の中に「普遍的」というキーワードがあり、そこから「普遍的な不自由」としての「死」の話題になり、そして障害があることと不自由の関係の話から「障害の社会モデル」の話へと進み、そもそも「不自由」は自分の内部に属するのかそれとも外部にあるのかという新たな問いが生まれました。そして「自由」と「不自由」とは相反するものなのかという問いに移り、そこから「自由」が存在するための「不自由」という土台という概念について考えました。その後も対話の熱は上がっていき。次は「死」という話題に戻り、「死」とは動物に与えられた「自由」でもあるのではないのか?ということを考えていきました。そしてどんどん話が進み我々が普段感じる「主観的な不自由」に対して「客観的な不自由」はあるのか?という話題に移っていきました。これまでの抽象度の高い議論から「自分で考えてみるとどうなるか?」という提案があり、そこからまた対話が盛り上がりそう!
と思ったところでお時間が来ました。
私自身「このテーマでもっと対話していたい!」と感じていましたが、哲学対話は時間が来たら終わるというのがいいところでもあります。
最後に皆さんから最後の一言を発表してもらって対話は終了しました。
その中では、「これからも考え続けたいテーマだった、身近な不自由についてもっと考えてみたい」という声もあり、皆さん色々考えられスッキリした反面少しモヤモヤも残るといった感じでした。このモヤモヤが明日からの生活の中でどんな風に変化していくかを楽しむのも哲学対話をやることの醍醐味ですよね。
皆さんで集合写真を撮ってイベントは終了しました。
私も対話を通じて、「不自由」という言葉を深く考えることができました。そして「不自由」という言葉をかなり曖昧に使っている自分に気づかされました。そして「不自由」という言葉を使ったときに自分自身が深く考えずに言葉を発しているという「不自由さ」に囚われていないかということを見つめていきたいなーという発見がありました。
こう言った自分の中での発見も哲学対話から得られる楽しみですね。
本当に熱く深い対話ができた時間でした。参加していただいた皆様ありがとうございました。
~参加者の方からいただいた感想~
・色々な考えを伺い、自分の考えが深まりました(Mさん)
・人数が適当で発言しやすかった。(Fさん)
・自分にはなかった視点に触れることができ、「不自由」についての思考が深まり面白かったからです。今回の対話は、自分とは少し遠いように感じたので、自分の身近にある不自由やこころの不自由というところからも皆さんともう少し対話ができたら良かったかなと思います。
・「哲学対話」初めてでしたが、入りやすくて面白かったです。(Yさん)